水戸家庭裁判所 昭和38年(家)986号 審判 1963年10月31日
申立人 山田はな(仮名)
事件本人 山田孝一(仮名) 外一名
相手方 山田幸子(仮名) 外一名
主文
事件本人山田孝一、山田修の申立人との間の養子離縁後に、その親権者となるべき者を、相手方山田幸子と定める。
理由
記録に綴つてある各戸籍謄本、戸籍抄本によると、相手方山田幸子は申立人とその夫山田七之助との間の女で、昭和二五年五月一六日相手方小山正男と婚姻して、夫の氏を称したこと、事件本人山田孝一は相手方両名間の男として昭和二五年五月一〇日に、事件本人山田修も相手方両名間の男として昭和二七年八月一四日にそれぞれ出生したが、いずれも昭和三〇年一月一〇日に申立人およびその夫山田七之助(事件本人らの祖母、祖父)と養子縁組をしてその養子となつたこと、山田七之助は昭和三四年三月二日死亡したこと、相手方小山正男、同小山(現在は山田)幸子との間には昭和三四年五月二〇日離婚の判決が確定し、相手方幸子は再び山田の氏を称するに至つたことが認められ、また相手方山田幸子の審問の結果によると、相手方小山正男の所在はここ数年間不明であつて、相手方山田幸子が事件本人らの養子離縁後にその親権者となるべき者を定める協議をしようとしてもできない状況にあることが認められる。したがつて、養母である申立人は、協議に代わる審判を家庭裁判所に求めることができるわけである。
ところで、申立人山田はな、相手方山田幸子の各審問の結果によると相手方小山正男は、相手方幸子と婚姻後、バクチにふけり、情婦をこしらえ、財産の大半を売り払い、妻子をかえりみず、上記離婚判決も妻である相手方幸子の訴提起によつてされたものであること、事件本人らは父母の離婚前、母である相手方山田幸子に養育されていたこと、相手方山田幸子は今後、事件本人らを監護養育していくつもりでいることが認められる。
してみると、申立人と事件本人らとの離縁後に、事件本人らの親権者となるべき者は、相手方山田幸子と定めるのが相当である。よつて、主文のとおり審判する。
(家事審判官 新村義広)